御朱印たび

神社・寺院の参拝日記どこでも御朱印帳は持っていきます(笑 

寒田神社~新しい宮司さんと御朱印~

 

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(平成29年7月1日・7月15日参拝)

 

以前にも参拝した相模十三社のひとつ、寒田神社です

その時いただいた御朱印とはデザインが変わっていたのでまた紹介したいと思います

よく見るとこの扁額は明治神宮宮司さんによる書、と書かれています

 

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寒田神社(さむたじんじゃ)

寒田神社は仁徳天皇の3年、西暦315年創建と伝えられる延喜式内社で、相模國十三社の一つになっている神社です

御祭神は倭健命 ( やまとたけるのみこと )をはじめとして、弟橘比売命 ( おとたちばなひめのみこと )菅原道真 ( すがわらみちざね )誉田別命 ( ほむだわけのみこと )

創建当初は倭健命一柱で、その後地域の神社を合祀するなかで現在の四柱になったようです

 

境内を歩く

拝殿

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鳥居から正面に拝殿

拝殿の奥に本殿があるが、正確には古い本殿を覆う覆殿となっています

本殿そのものは寛永時代の木造で当時の狛犬とともに残されています

 

コノハズク

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毎年寒田神社の境内の木に戻ってきて巣を作り子育てをしているフクロウです

お守りのいくつかはこのコノハズクをデザインしています

 

その他にも慰霊塔や境内社などが多くあります

 

さむた神社?かんだ神社?

さて寒田神社ですが、この地域では読み方を「かんだじんじゃ」という方が結構いらっしゃいます、というか話題に出るときはほぼ「かんだ」神社です

正式名称は「さむた」神社で間違いない(御祈祷の祓詞でも宮司さんが「さむた」とおっしゃっている)のですが、「かんだ」はどこからきたのか?(・ω・;

 

①古来、「相模田」「佐武多」「佐牟太」「佐牟多」などと称していた

延喜式では「寒田」と表記された

③元和6年(1620年)頃から「寒田神社神田大明神」と称される

明治元年(1868年)、神田がなくなり「寒田神社」となった

 

もともと「さむた」神社であったが、平安時代には「さむた」を「寒田」と表し、江戸時代には「寒田」を音読みしたことから「神田大明神」と呼ばれるようになった

明治時代に神田大明神の字がなくなったあとも「神田」=「寒田」で同じように読めることから地域では「かんだ」神社という表現が残った、と推測します

 

「寒」の字の「サム」は、清い・神聖な、といった意味があり、寒川神社は「神聖な川」寒田神社は「清い田」がそれぞれ近くにあったのではないかと思われます

 

御朱印

社務所は常に鍵がかかっていますので、インターホンを押して開けていただく必要があります

 

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奉拝・相州松田郷栢之森鎮座

延喜式内寒田神社・寒田神社御靈

日付

 

以前いただいが御朱印はこちら

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鎮座地の表記がが増えてますね

ちなみに松田郷は吾妻鏡で書かれている神社の場所

栢之森は天保改刻相模十三社一覧(津久井郡石楯尾神社)に書かれている場所とのことです

社務所のなかにその掛け軸がありました

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天文(室町時代1532~1555)の古板破滅ニ付天保(江戸時代1831~1845)再板(コピー)とあります

 

 

 

宮司さんが変わったらしい

ちなみに2017年7月1日から、新しい宮司さんに代わられました

今年も寒川神社から夏越の祓のご案内が郵送されてきたので行きたかったけどどうしても都合がつかずもしかしてまだ茅の輪があるかな?(・▽・)とおもって寒田神社へいったのがちょうど7月1日で、ネクタイ姿方々が椅子などを運んでいらしたので聞いてみると今日は新しい宮司さんの就任の行事だったんだとか

それはお忙しかろうということでこの時はお参りだけさせていただきました

新しい宮司さんは女性神職の方ですが、なるほど御朱印の墨書きを比べてみると柔らかさがあるかもしれません