関東三十六不動 第20番 深川不動堂と富岡八幡宮
(2017年3月19日参拝)
長い一日でしたが、やっとこの日最後の札所へ到着
都営地下鉄大江戸線より近くて参道を通ってまっすぐ入れるので東京メトロのほうがおすすめ、門前仲町の深川不動堂です
永代寺と富岡八幡宮・深川不動堂の関係
門前仲町周辺を地図で見ると、深川公園・深川不動堂・富岡八幡宮そして永代寺が隣接して並んでいます
この辺りは江戸以前の神仏習合、明治の神仏分離により移り変わっていったようです
歴史的にはまず1624年(寛永4年)、この地を開拓する際工事が難航したことから「波除八幡」の別名を持つ富岡八幡宮(神奈川県横浜市)から御分霊を観請し深川の富岡八幡宮が創建されます(波除八幡は横浜の八幡宮の山が 応長の大津波から部落を守った事に由来)
(当時は寺院>神社という力関係で、宮司の上に別当という僧職がおり、神社を管理する別当がいる寺院を別当寺と呼んだ)
この地域では当時大変大きな寺院だったようで、永代寺の門前町として栄えたこの地を門前仲町と呼ぶようになります
この永代寺が江戸時代成田山新勝寺の江戸出開帳の会場となり、その後成田山の御本尊の御分霊を観請した出張所が(富岡八幡宮境内に?)設けられ成田山まで行かなくても江戸でお不動様を参拝することができるようになります
この出張所「成田山御旅宿(おたび)」が現在の深川不動堂の始まりです
明治に入り神仏分離令の関係で永代寺は廃寺となり、その跡地は深川公園と八幡宮境内に残ることを許されなかった出張所を移転・改称して「成田山深川不動堂」になります
また旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ現在の永代寺が再興されました
・・・ということで門前仲町駅周辺に広がる深川公園~不動堂~富岡八幡宮はもともとは旧永代寺を中心とする一つの境内としてまとまった存在だったというとらえ方でよいのかなと思います
20番札所 成田山新勝寺東京別院 深川不動堂
関東の別院は東京・横浜・川越の3カ所で、この三十六不動ですべて回ることができます
初めて参拝しましたがちょうどお護摩祈祷が行われていましたが多くの人が集まっていました
明治時代に神仏分離で深川不動堂ができたあとも、関東大震災・東京大空襲によって二度も本堂をはじめとした建物は焼失してしまったそうです
1951(昭和26)年に千葉県にあった寺院の本堂を移築して復興されたのが現在の正面にある旧本堂
さらに平成23年に開創310年記念事業として完成したのが、お不動様の御真言に囲まれたとてもインパクトのある新本堂です
手元の関東三十六不動霊場ガイドブックは平成27年改訂とありますが、まだこの新本堂は反映されていませんでした
御朱印
いつもの関東三十六不動霊場の差替えです、関東でない場合はレイアウトが少し違います
オリジナル御朱印帳もあります
①奉拝・修行関東不動霊場第二十番 ②本尊不動明王・梵字 ③深川不動堂・因陀羅童子・成田山深川不動堂
富岡八幡宮へ
この記事を書くために調べていて初めて本社が横浜にあることを知りました
神仏習合の時代は、お寺と寺院隣り合わせにある状態でどういうお参りだったのかな?とふと思いました。
大きな神社の本社と境内社・摂社、大きなお寺なら本堂とその他のお堂みたいな感じだったんでしょうか?
御朱印
①奉拝 元准勅祭十社之内 ②富岡八幡宮 富岡八幡宮 ③日付 深川祭神輿の印
帰りに東京水天宮へ寄り道
以前いただいたお守りを納めるためにちょっと寄ってきました
古い社殿の記憶が強くてまだ新しい水天宮を見慣れていません
御朱印は以前もいただいたので今日は頂かず
そういえば日本橋七福神途中がまだ途中でした、松島神社に何度か行ったけど留守のことも多いようでそこでストップ
すでに当時の御朱印帳はいっぱいになっていますし、お正月期間に七福神専用の御朱印帳を用意してまたでなおそうかな?